『スポーツ少年』(=『Sport JUST』前身)○○○○年○月号P.P20-21
<−連載−女子団員を育てよう>−8 「“根性”から“楽しむ”へ」(東京女子大学 阿部征次)より


スポーツ観の世代交代
(略)
ある監督は「スパルタ練習である程度のチームはできる。しかし,のびのび野球は土壇場になればもっと強い」という談話を残していました。スポーツ観の変化は単に楽しみを求めるだけでなく,勝負にも強いということになります。
スポーツを「楽しむ」という態度では,試合に勝つこともスポーツの数ある「楽しみ」の中の一つとされるでしょう。ときどき勝利至上主義が問題にあげられますが,いずれ問題にならなくなるでしょう。おおげさにいえば,勝利至上主義の指導者は姿を消す運命にあるといえましょう。



勝利の歓びも楽しみの結果から
選手に勝利への意欲をもたせるために,陸上競技を登山にたとえて話すことがありました。
山に登るのに麓から道筋を見上げて『あの道を行けば頂上に行けるんだな』と,頂上から展望した写真を見て,頂上に立ったつもりになることもある。頂上近くまで登って『頂上はもうすぐだ。もう頂上に登ったも同然だから,この辺まででいいだろう』と引き返す人があったとする。
果たしてそれは頂上に立ったと同じだろうか。
頂上には頂上でなければ見られない景色が広がっているだろう。それは下で想像したのとは違うかもしれない。何度か登ると,頂上の風景は頂上に至る過程によって違って見えるはずだ。
 頂上に立とう。何が見えるか,一度頂上に立ってみようじゃないか。
 勝とう。勝ってみれば,何か別のことが見えるかも知れない。
 勝った後で「勝つことがすべてではない」と言おう。
私にもまだこんな考え方が支配的で,つい選手にも言ってしまいがちです。
ところが,選手たちはそんなことより,山登りにたとえるなら,風景を見る楽しさ,花を見る楽しさ,木の実を食べる楽しさ,清水を飲む楽しさ,語り合う楽しさなど,楽しさはいろいろある。それで一応十分なんだ。そうやって楽しみながら歩いていたら,いつの間にか頂上にたどり着いていた。これも楽しみの一つである。頂上に立つことを目標にしてきたわけではない。

これがいまの若い人のスポーツの楽しみ方なのではないでしょうか。これは社会現象の多くが女の子主導になっているといわれる表れの一つでしょうか。そうなると女子団員を増やすために,避けては通れない関門なのです。

こうしてみると,指導者としては,子どもたちとともにスポーツを楽しむ姿勢を示すことが必要なように思います。
どうしても頭の中に渦巻く勝ちたいという執念は,胸の中にそっとしまって,こどもたちのワイワイの中に飛び込んでいくしかありません。
子どもたちがワイワイやっている間に,密かに勝利に向かう道筋をつけておくのです。勝ったときには,子どもたちにとって数ある楽しみの中の一つに過ぎない勝利ですが,指導者として一人こころゆくまで勝利を味わえばよいのです。

少し寂しい気がしますが,スポーツの勝利はしょせん選手のもので,指導者のものではありません。
スポーツ観が変えられればよいのですが,そうはいかない方々のために,ちょっとずるい,寂しい方策を考えてみました。